あまりにも魂の震えるエロ小説を読み、ここしばらく軽い燃えつき症候群になっていました
描く側ならともかく、読者が何言ってるの??
この感動を作者に…
伝えるのは迷惑なのでやめておきます…
以下送り先のないラブレターなので読まなくていいです
あふれ出るパッション、いわば人間エネルギーのような物に圧倒されました
短いエロ(しかない)小説のカギ括弧内に、人間の生と死が全て表されていた
やはり、性は生であり、また死であるということ
最早暴力とも見分けのつかないSEX、あまりにも本質に迫っている…
この人の喘ぎには『生き様』のような物がある
性欲の炎、燃やし続けていてほしい…
雌ビッチ男子に誘惑されて、ノンケ(自称)攻めの主人公がホモセックスするだけの話なんですが
ストーリーも設定も殆どない中で、受けと攻めそれぞれのキャラクター性に魅力を感じ、また二人の関係性の変化に興味を持たせるということがまずすごい
一見暴力的なSEXで攻めが受けを支配していて、受け側も従順に思えるが
一方で、受けの理想の攻めを演じさせられているという捉え方もできる
行きずりのなし崩し的なSEXのようでいて、イニシアチブの奪い合いが行われているわけだ
そこで交わされる言葉や、やり取りの一つ一つが、互いの矛盾点を深く追求し、性行為そのものが、自我同一性を確立するための禅問答として成り立っている
この追及は身にまとった社会性という外殻を徐々に剥がすことから始まり、より個人的な領域へシフトしていく
内面の深い場所に到達するにつれ、次第に暴力性が激しくなっていく
お互いの取り繕っていた部分、関係性の中で求められるがまま振舞っていた人格を捨て、真の自己を曝け出していく流れは完全に哲学の領域に達している
『死ぬ』『殺す』のような言葉が飛び交い、主題が社会性から、より本質的な生死の問題へとテーマが変わっていく
理性や人間性すら放棄し、ただ存在として『あなたは何?』という問いかけであった
命の奪い合いのような性行為を経て、しかし最後には愛が残るのであった…
やはりリビドーを『描く』というのは自己の探求であり、また『問い』にある
エロ小説を読むためには、人の心と己の心に向き合わざるを得ない
この上なく内省的な行為だ
あとすっごくエロかった
これは今後のエロ創作の流れを変えるんじゃないかというようなインパクトがあったし、実際似た系統のエロ小説の投稿が続いた気がします
もちろん、この作品が他の創作者にインスピレーションを与えたのか
エロ創作界の流れが先にあって、この作品がそれを象徴したのかはわかりませんが
僕の稚拙な文章では、素晴らしい小説への感動をちっとも表現できなくて苦しいですが
エロ創作だけが持つ正直さや真実味のようなものが、僕の心を揺さぶるのだということだけは伝わってほしい
長いことエロ小説を大量に読んできて、まだ僕を新鮮に驚かせる作品と出会える
人間とエロスは歩みを止めることがない
これからのエロ創作界にも期待が尽きません!
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